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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第四回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第四回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回から第二章、眼鏡の伝来です。日本への渡来について著者が解説します。前回(第三回)はこちら

第2章 南蛮文化との出会いー眼鏡の伝来
1 日本への渡来
古ルキ眼鏡
十三世紀にヨーロッパで誕生した眼鏡は、いつ、いかなる方法でわが国に伝来したものだろうか。
日本における眼鏡の発展を跡づける論考は、管見する限り、大西克知博士が最初だろう。
大西博士は、大正四年に『古ルキ眼鏡』を、『日本眼科科学会雑誌』(一九巻一〇号)に発表され、翌年には「古ルキ眼鏡・追記」(同二〇巻七号)を、さらに大正八年には「眼鏡雑記」を六回にわたり連載(同二三巻二、三、四、六、七、八号)し、日本における眼鏡の歴史についての輪郭を作り上げた。

大西博士最初の論考である『古ルキ眼鏡』によれば、出典は明記していないが、次の三点を指摘している。
(1)眼鏡の日本への伝来は享祿二年(一五二九年)天竺人が大内義隆に献じたのがその最初である。
(2)眼鏡の製法については、浜田弥兵衛が南蛮より学び、これを生島藤七に伝えた。
(3)支那の玉工が長崎にきて支那風眼鏡の製法を伝え、これより日本各地において眼鏡の製法が行われるようになった。

ところが、四年後に著された「眼鏡雑記(初)」(『日本眼科学会雑誌』二三巻二号)の「(五)眼鏡の舶来」の項目では、『本朝通艦』と『工芸志料』に基づいて、眼鏡の舶来の年次を天文八年(一五三九年)から同二十年(一五五一年)の間とし、さきの享祿二年説を改めている。

しかし、ここで大西博士は、日本で初めて眼鏡をもたらした「天竺人」をポルトガル人ではないかと推測しているが、この「天竺人」をフランシスコ・ザビエルと比定するまでにはいたっていない。
それが、「眼鏡雑記(続)」(『日本眼科学会雑誌』二十三巻七号)の「(二十)聖師ハウィエールト我邦最初ノ眼鏡」の項目では、これをフランシスコ・ザビエルに比定するにいたる。

ここで大西博士は、「眼鏡ハ西暦一五五一年、天文二十年『ゼズイット派』教団ノ創設者、我邦最初ノ西教伝導者、フランシスコ・デ・ハウィエールノ手ヲ経、始メテ我邦ニ入ル」と結論しているが、
その根拠は、クラッセの『日本西教史』によっている。

こうして大西博士は、『本朝通艦』、『工芸志料』、『日本西教史』によって、眼鏡を日本へもたらした人物として、フランシスコ・ザビエルを比定されたのである。
その後、ザビエル説は通説として広く受け入れられていった。(続く)

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