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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第二回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第二回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は眼鏡の発明者についてです。第一回はこちら

2 眼鏡の発明者
北イタリアにおける眼鏡の発明
眼鏡が誕生するもう一つのきっかけは、イタリア、とくにヴィネチア(ベニス)地方におけるガラス製造技術の発達であろう。
これにより、この地方のみ無色透明のガラスをいくつもつくることができた。
したがって次にあげる眼鏡の発明に関する証言および記録を見ると、
いずれも十三世紀の北イタリアで眼鏡が使われていたことを裏付けている。

資料の一つは、ピサの聖カタリーナ修道院の年代記である。
修道院の過去帳には、一三一三年、ピサでドミニコ会修道士アレキサンダ・デラ・スピナが死亡したが、
この人物について、「彼は自分が見聞したあらゆる製作物をつくることができた。
彼は初め誰かがつくって、誰にも教えようとしなかった眼鏡を自分で作った。
そして、それを進んで人々の間に広めた」という記述がある。

また、別の記録として、聖カタリーナ修道院のドミニコ会修道士ジョルダーノ・ダ・リヴァルトが、
一三〇五年(または一三〇六年)フィレンツェで行った説教がある。
彼はこの説教の中で「視力を回復させる眼鏡のをつくる技術は、この世で役に立つ技術だが、
この技術が発明されてからまだ二十年も経っていない……。
私自身もそれを見たし、それを初めてつくった人物と話したことがある」といっている。
この説教の手写本は現在もフィレンツェに残っている。
しかし、残念ながら、リヴァルトはそれがどこの誰であるかについては触れられていない。

この時代の眼鏡に関する確実で最も信頼のおける証拠は、一三〇〇年のヴェネチア高等法院告示であろう。
この告示は、ヴェネチアの私立公文館のいわゆる羊皮紙法典に含まれ、残されている。

眼鏡に関しては三カ所に記載され、第一号告示には、一三〇〇年四月二日付で次のように記されている。
「ヴェネチア司法官による命令=記述のガラス製造業組合に所属する者は、何人といえども、
カフスやブーツのボタンや飾りであれ、眼鏡であれ、水晶を模した透明なガラス製の粗悪品を売買もしくは売買させてはならない」。
レンズ第二号告知には、「ヴェネチア司法官の命令及び許可=眼鏡を製造しようとする者は、あらかじめ法院に出頭し、司法官の前で、
眼鏡用レンズを販売することに関し、宣誓を行わなければ、製造の許可は与えられない」とある。

翌年一三〇一年三月一五日付の第三号告示では、「ヴェネチアの司法官告示=マギステル・ニコライの元外科医、フランツィスクス氏による
ヴェネチアでの眼鏡レンズの製造販売に対し、陪席判事の全員が一致して感謝を表明するものである」と記されている。

これらの史料はいづれも、正真正銘の高等法院の文書である以上、一三〇〇年以前にすでにヴェネチアで眼鏡製造が行われたことを証明する第一級の史料であろう。

さまざまな発明家説
では、いつ、誰が、どこで、ということになると、確実な史料は見出されていない。
そのため、従来さまざまな発明家説があったが、いずれも確証がない。
たとえば、フィレンツェで眼鏡の発明者といわれ、その記念碑まであったサルヴィノ・デグリ・アルマチもその一人である。

一七三八年、フィレンツェで、マリオ・マニの書いた『メガネの歴史』が刊行された。
この中でマニは「以前、そこに記念碑(墓碑)が立っていたが、協会の改築に際、取り壊されてしまった。
しかし、この碑は古い墓所リストには正しく記載されており、この碑によって私たちは、眼鏡の発明者を知ることができる。
この人物は、サルヴィノ・デグリ・アルマチといわれる貴族で、墓に=眼鏡の発明者、フィレンツェの、サルヴィノ・デグリ・アルマチ、
ここに眠る。神よ、彼の罪を許し給え、一三一七年=と記されている」と書かれている。
そしてその後、この碑は再建され、フィレンツェの名所旧蹟としてどの市内案内書にも載るようになった。
しかし、その後再調査が行われ、これは偽作であることがわかった。
やがてフィレンツェも偽作であることを公式に声明し、碑も除去されてしまい、同時にアルマチ説も消滅した。

イギリスでも、同時期にレンズの拡大作用を知っていた人物がいた。
それは哲学者であり、物理学者でもあったフランシスコ会修道士、ロジャー・ベーコンである。
オックスフォード大学とパリ大学で学び、数学と自然科学の研究で知られるベーコンは、その著書『オプス・マジェス」の中で、
平凸レンズを本の上におくと、老人や視力の弱い人の助けになると述べ、アルハーゼンの理論を再認識している。
加えて、彼は両凸レンズの製作図を描いている。
そしてこの両凸レンズは、本の上にのせるより、手で眼前にもって使う方が適切であるため、眼鏡の歴史にとって重要な意味を持つ発表であった。

したがってこのことから、ベーコンを眼鏡の発明者とする研究者もいる。
ベーコン説を主張する人は、イタリアにおける数々の証言、証拠については、次のように推理している。

それは「フランシスコ会修道院でもあったベーコンは、あるとき、フランシス・リルの修道女院で過ごした。
そこで彼は、旅行家ヘンリ・ゲーザールースに逢った。
ベーコンは彼に眼鏡の発明を話し、数個の眼鏡を贈ったにちがいない。
後に(一二八六年)、ゲーザールスはイタリアのローマ、フィレンツェ、ピサを訪問している。
そこで前述のスピナと逢い、それをスピナがコピーした」というものである。

しかし、残念ながら、ベーコン自身が眼鏡を実際につくったという記録がない以上、この話も推理の域を出ることはできない。

悪魔の道具
いずれにしても、眼鏡の発見をある特定の個人に帰することはできないだろう。
とすれば、眼鏡の発明については次のように考えるべきであろう。

一二八八年、サンドロ・ディ・ポポゾが『家庭経営論』という本を書いたが、この本の中で、「私は年をとって、はなはだ視力が衰えたので、
眼鏡と称するガラスなしには、もはや、読むことも書くことも出来なくなってしまった。
その眼鏡なるものは最近発明されたもので、視力の衰えた我々老人にとっては、まさしく恩寵であるといえる」と書かれている。

これらの史料から大胆に推理をすれば、眼鏡の誕生は、アルハーゼンのラテン語版の出版された一二六六年から、
ポポゾの出版までの間も二十数年間、加えて、リヴァルトが一三〇五年(一三〇六年)に行った説教の言葉
「まだ二〇年もたっていない……云々」から計算すると、一二八五年を中心とした時期となる。
ここまでの追求はできても、では誰かとなると、これ以上は進むことができない。

そこで一部では、「えてして、偶然がその発明の母である場合があり、眼鏡もその例ではないか。
書物の上にレンズを置く代わりに、偶然、眼前に持ってくるという単純な行為がアイデアとなって、
誰かというわけでもなく出来上がっていったのではないだろうか」という人もいた。

いずれにしても、その解明は今後の研究にゆだねられることになるが、ここで私は解明できない理由の一つとして、当時の世相を忘れてはならないと思う。

この時代「神の与え給うた苦痛は、その人間の魂の幸せのため、じっと耐えるべきものであり、
それを妨げる機械類は悪魔の仕業である」という考えが信じられていた。
そして民衆はレンズを悪魔の用具として見なしていた。
薬剤も用いず、治療も行うことなしに、眼鏡をかけると、突如として物が見えるようになることは不思議でならず、
何か超自然的な力が作用していると考え、眼鏡は悪魔がつくったものだといいふらされていた。
事実、この時代の自然科学には錬金術的なものが多くあり、そのため、ベーコンでさえも妖術や魔法を操る異端の徒とされ、
迫害を受け、著作を禁じられ、投獄されたこともあった。

このような社会的な背景の中では、たとえ発明者が誰であれ、人類に恩恵を与えた人物として性格な記録を残すことは、困難なことであったのだろう。
眼鏡発明時に関する周辺の記録は多くあるにもかかわらず、今一つ‘歯切れ‘が悪いことも‘悪魔のしわざ‘のことを思えばいたしかたなかったのだろう。

そして、眼鏡発明者は、後世にその名を伝えることなく、歴史の闇にうずもれてしまったのではないだろうか。

しかしながら、眼鏡のもつ実用的価値は、いつまでも否定され続けられるわけでもなく、徐々に認知されていく。
たとえば、中世イギリス最大の詩人で「英詩の父」といわれるジョフリー・チョーサーの未完の韻文物語として有名な
『カンタベリー物語』二四話の中の「バースの女房の話」の一文に、「思えば、貧乏は一種の眼鏡であり、人はそれを通して真の友を見ることができるのです」とある。
人は貧乏になったときに、友が本当の友人であったかどうかわかる、ということを意味する文章であろうか、
物事が明らかになるたとえに眼鏡を用いている。

『カンタベリー物語』は、チョーサーの晩年一三八七年から一四〇〇年の間の作品であり、眼鏡の発明から約一〇〇年後のことである。
そして、やがて眼鏡は博学・教養のシンボルとして、また尊敬のしるしとして、宗教画や肖像画に多く用いられるようになる。
かつての‘悪魔の作品‘も、最も神聖であるべき宗教画「聖母マリアの死」の中にも登場するまでになる。
加えて、眼鏡発明者は聖人たちであるといい伝えられる時代へ進んでいくのである。(続く)

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