【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第四十回
弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第四十回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は文明開化のシンボルとしての眼鏡についてです。前回はこちら
第12章 眼鏡の流行と普及
1 文明開化のシンボルとしての眼鏡
半髪アタマをたたいてみれば
因循姑息の音がする
惣髪アタマをたたいてみれば
王政復古の音がする
ジャンギリアタマをたたいてみれば
文明開化の音がする
戯歌にも歌われた「文明開化」は、明治初年の時代精神を示す言葉である。
それは、西洋文明ー国家・軍事機構や法律制度、あるいは工場制度、交通通信制度や教育制度の模倣・導入であった。
文明開化は、人々の日常生活ー衣食住の生活領域にも及んだ。
江戸時代は罪人の髪型であるザンギリ(ジャンギリ)が新しい時代では文明開化のシンボルとなった。
洋服を着ること、牛や豚の肉を食べること、ビールを飲むことが、新しい時代におけるあこがれの生活様式となったのである。
文明開化が喧伝されるのは、明治四年(一八七一年)の廃藩置県から、その後の五、六年間である。
冒頭の狂歌も明治四年に流行したものである。
この頃の東京を描いた通俗読み物に、戯作者、モーダン乙彦こと萩原乙彦著『東京開化繁昌誌』がある。
その「風俗一様」という項に眼鏡について次のような記述がある。
……又分人墨客は旧弊維新合半す、或いは除塵埃の靉靆を掛けて、横町のであびがしらに眼ばかり来たかと人をおどし、或いは鬚を生したるも、復古の慕ふにはあらで、夷人に紛れんことを欲し。
洋服に身を固むれども、仏国のまんてるを着、英国の靴を穿き、洋杖何れの国産をしらず。
日本帽を戴きたれば、一身数国の異服にて、雑交煮鍋に異ならず。
倘源三位頼政が現世に在ば、忽地に鵺と過りて射仆されなん。
〔萩原乙彦『東京開化繁昌誌』(『明治文化全集』第一九巻、日本評論社、昭和三年)〕
これは欧化志向の文化の風俗を描いたもので、この「除塵埃の靉靆」とは素通し眼鏡のことである。
ときにヒゲを生やし、西洋人に見られることを望んだ文人の小道具の一つが眼鏡であり、眼鏡は文明開化のシンボルのひとつであったようだ。
青眼鏡の流行
明治二十年代初めに、青眼鏡(サングラスのことか)やトンボのような大きな眼鏡をかけることが大流行した。
当時、東京は埃と泥の町といわれたが、明治二十一年七月二十九日付の『朝日新聞』には、本所の飾職人が外出の際、埃よけのために、女房から家にあった青眼鏡を渡されるという記事が掲載されている。
●青眼鏡
政事やさんのたとえに青い眼鏡で見れバ天下万物皆青いと申されたハかつて居たがそれを実地経験と出掛たハ本所相生町一丁目のかざりしょく水野万吉にて一昨日いそぎの仕事が出来上つたのを横山町の店へ持て行と云ふので女房のお玉が気を利して塵埃がひどいからこれをお持なさいと有合せの鏡眼を渡したを左様かと受取て出たものの万吉の今迄眼鏡をかけたことが無く何だか顔を見られるやうで極りがよくないと其儘袂へ入て店の用事も仕舞家の門口迄戻つたが折角女房の信切を無にするも如何と思ひ敷居をまたぎながら眼鏡をかけて家へ這入るとサア事だ家内中真青な顔色で寝て居るハ必定コレラ病のお見舞い相違ないとたちまち上りがまちへ倒れて気絶したゆえお玉ハ驚いて起上りモシお前さん気をたしかにとおろおろ声で漸くよびいけると万吉ハ目を細々開いてお前コレラじゃないか顔の色がまるで変つて居るぜ、お玉のフッと噴飯し何ですよお前さん青い色の眼鏡かければ青く見るのハ当り前でさアね、万吉ハ眼鏡を外して成程左様だ、果ハ一同大笑ひ
〔『東京朝日新聞』明治二十一年七月二十九日付〕
当時、コレラをはじめとする伝染病は大変恐ろしい存在であった。
たとえば、これより、二年前の明治十九年、コレラによる死者は一〇万八四〇〇余人に上った。
日露戦争による死者・廃疾者は一一万八〇〇〇人であるから、人々がコレラに怯えたのも充分理解できよう。
ところで飾職人という全くの庶民の家庭に青眼鏡があるということから、青眼鏡がいかに流行していたかが窺われる。
トンボ眼鏡の流行
同じ頃、トンボの目のような大きなレンズの眼鏡も流行したようである。
ジャーナリストとして出発し、風俗・新聞史歌でもあった反骨の奇人宮武外骨は大正十一年の『奇態流行史』の中で「蜻蛉よろしくの大眼鏡」と題して、大型眼鏡の流行を明治二十二年九月発行の『流行新聞』の記事を転載して紹介している〔図12-1〕。
●蜻蛉よろしくの大眼鏡
眼鏡は近視眼又は老眼の者が、補助の必要上、掛くべき物であるに、いつしか肉眼に何等の欠点なき者までが掛ける事になつた、それは虚栄のために素通しの金縁眼鏡を掛けて威張るとか、勉学読書のために近視眼に成つたらしく装ふなどであるが、其連中に一時大きな眼鏡を掛ける事が流行した。
明治二十二年九月発行の『流行新聞』に『近頃はベラボウに大きな眼鏡を掛ける事が流行り出し、蜻蛉の眼玉もよろしくであるが、追つては易者の天眼鏡を潰して一層大きなものを拵へる者も出るであらうか」とある、しかる大眼鏡は此後にも間歌的に流行した。
〔宮武外骨『奇態流行史』半狂堂、大正十一年〕
外骨によれば、このような背景には、素通しの眼鏡を掛けて威張るとか、勉学読書之為に近視になったらしく装うなどの社会的風潮のためであるという。
この傾向は、眼鏡とステータス(社会的地位)の関係を示すものである。(続く)
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