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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第三十八回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第三十八回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は「看板」と「引き札」の世界についてです。前回はこちら

3 「看板」と「引き札」の世界
眼鏡屋の「看板」
今まで見てきた「買物案内」あるいは「商工案内」は、一種の宣伝広告誌、今でいうミニコミ誌である。
版元が商店から掲載料を取って店の名前を、あるいは「商工案内」では銅版画の挿絵を付けたりして掲載するもので、もちろん、江戸・京・大坂の全商店を網羅しているわけではない。
商店が個々に宣伝を行うのではなく、版元が江戸なら江戸の各種商店をまとめ、一冊のハンドブックとして全国的に紹介するわけである。

当時、このような方法以外にも、直接個々の商店が行う宣伝もあった。
その代表的なやり方が「看板」と「引き札」である。
当然、眼鏡屋も「看板」と「引き札」による宣伝を行ったのはいうまでもなく、以下、眼鏡屋の「看板」と「引き札」についてみていこう。

「看板」の広告媒体としての機能は、まずなんといっても目立つということではないだろうか。
たとえば、酒屋なら軒先に大きな丸い杉の葉をぶら下げておけば、通りかかった者はその店が酒屋で、新酒が入荷したとわかるように、各商店がそれぞれ職業上の意匠をこらした「看板」を掲げて、顧客の購買意欲を惹き起こしたのであろう。
それだけでなく、「看板」は、「無形の技術・芸・知識・信用・情報・サービス」などを表示するものであったという。
眼鏡屋についても、有名無名を問わずほとんどの店が、いかにも眼鏡屋であることが一目でわかる看板を掲げていた。
京都「玉与」の眼鏡看板〔図11-8〕を紹介しておこう。

11-8
京都の「玉与」こと向与兵衛商店は、江戸時代の『商人買物独案内』にも、さらには明治期の『工商技術都の魁』にも銅版画の店頭風景入りで広告を出している老舗である。
この眼鏡看板は、『工商技術都の魁』の銅版画にあるように、実際に店の二階の軒下に掛けられていたものではないかと思われる。
現在は神戸市立博物館に寄贈されている。
この他、一階の軒下に吊るした「軒看板」も見られるし、店頭には「行灯看板」が置かれている。

眼鏡屋の「引き板」
「看板」がいかに目立つといっても、それは店の前を通る人にとってのことであって、遠方の人に対しては全く何の役にも立たない。
広告媒体としては「固定広告」でしかない。
それに対し「引き札」は、新規の客をとらえるための「案内広告」として、当時さかんに利用された媒体であった。
「引き札」というのは、今でいう「ちらし広告」の類である。
ただ、現在の新聞折り込みの「ちらし」のように不特定多数の消費者を対象とするのではなく、おおむね開店披露のときに近所へばらまくとか、一人一人に手渡すといった方法で配られたものであった。

ところで、「引き札」は商店の「案内広告」であるので、簡単に店の営業案内を紹介している。
そこで、この「引き札」によって、当時の眼鏡屋の営業内容について見ていこう。

〔図11-9~11〕は、当時かなりの種類の「引き札」が出されていた中で、眼鏡屋の出した「引き札」である。
これらを見ると、眼鏡屋の営業には大きく三つのパターンがあるように思える。

まず、第一のパターンは唐物・ギヤマンなどの輸入品とともに眼鏡が商われている場合である。
『江戸買物独案内』でもこの取り合わせの商店が多かった。
〔図11-9〕の麹町四丁目の白川屋小兵衛商店から出された「引き札」のケースはその典型であろう。

11-9
この「引き札」を見ると、かなりの種類の眼鏡が扱われていたことがわかる。
「御眼鏡、同鉄四ツ見折三ツ折、同水牛御紐掛、同水牛三ツ折、同御鼻掛品々、同水晶玉ギヤマン玉、同紅毛青玉向玉、同舶来鉢貫玉、御遠目鏡、キズ見眼鏡、天眼鏡、夜学玉」といった唐物と眼鏡の取り合わせというのは、いずれも輸入品を扱っていたからであろう。

第二のパターンは、硝子細工との取り合わせである。
これは、眼鏡が以前「玉細工」の一つであったところから、玉細工師、あるいは鏡師の兼業という形で営まれていたところからきているものと思われる。
そのような経緯を示す「引き札」としては〔図11-10〕をあげることができる。

11-10
芝増上寺の門前町である三島町は、参詣人を相手とする玉細工師や鏡細工師、金銀細工師等が集住していた地域であり、小山清兵衛もその一人であろう。
取り扱っている眼鏡も、『本玉御目鏡、阿蘭陀玉御目鏡類、和玉御目鏡品々、老若御目鏡類、近目鏡、夜学玉、阿蘭陀遠目鏡品々、同きやんび鏡、細字御目鏡、天眼鏡、写真鏡、からくり目鏡品々』と記されている。

第三のパターンは〔図11-11〕の「諸国名石細工所」として眼鏡を営業するタイプである。

11-11
「名石」細工といっても具体的には水晶の細工・加工であり、かれらが取り扱ったのも主に水晶レンズであったろう。
このタイプの眼鏡屋は、その屋号からも推測されるように甲州出身者が多かったと思われる。(続く)

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