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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第二十七回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第二十七回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は小道具としての眼鏡についてです。前回はこちら

4 小道具としての眼鏡ー江戸小咄と眼鏡
いわゆる江戸時代の笑話集である噺本の中には、眼鏡を小道具として用いた小咄がいくつか見られるので紹介したい。

噺本は、各時期により形式・内容ともにかなりの相違があり、通説では安楽庵策伝の『醒睡笑』を、後世噺本の祖としているようである。
しかし、本格的に噺本が大衆のものとして受け入れられたのは、元祿前後に出版された「軽口本」からであろう。
「軽口本」というのは、当時京都で活躍していた辻咄家の露の五郎兵衛、あるいは座敷仕形咄家として江戸で活躍していた鹿野武左衛門らの口演の「控え帳」を出版したものである。
これにより、かつて『醒睡笑』などがもっていた教訓性や固有名詞がなくなり、笑話の生命ともいえる「落ち」が備わってたりして、庶民的で普遍性を持った純粋な笑話が確立されたとされる。

「親父のめがね」
次に「親父のめがね」という小咄は、眼鏡を小道具として扱った小咄としては一番古いものではないだろうか。

むかし、たはけたる息子のかたへ、近付、たづねきたるに「親ぢやものは今程留守にて候。その方は近付ではない」と申しける。
かの人申しけるは「されば其方とは近付でなけれども、親ぢや人とは近付ぢや」といはれければ、たはけもの申けるは「その義ならば、しばらく待給へ」とて、親の目がねをとり出し、目にあてて「よくよくとゝの目で見れども、近付ではない」といふた。
〔『日待ばなしこまざらい』(武藤禎夫『江戸小咄辞典』東京堂出版、昭和四十年)〕

ここにあげた小咄は、貞享頃に出版された『日待ばなしこまざらい』に掲載されていたものであるが、同趣旨の小咄は次の『露がはなし』(元祿四年、一六九一年)にも見い出される。

印判屋のむすこ
ある所に印判屋ハと比の親父にて、常にめ金をあてて細工せられける。
去人、ゐんばん壱つ誂え、さき銀をわたし、いついつの日ハ出来申すけいやくして、扨其日印ばんを取に行ければ、折ふし親父他行いたし、百の銭十一二文ぬけたる廿斗のむすこがいふやう、其方様ハ見知りませぬといふ。
先日あつらへ申時、そちハ爰に居てよく存たるはづじやに、何とてさやうにハ申ぞ。
今日夜舟にのり大坂へ下る也。
是非ゐんばん請取べしといふ。
件のむすこ、今しバらく御まちなされといふよりはやく、親父の目がねを取出し、わが目にあてて此人を見て、私ハ見知らねども、をやじの目金で見れば、先日御出なされた人じやといふて、印判を渡た。
〔『露がはなし』(『噺本大系』第六巻、東京堂出版、昭和五十一年)〕

右記の「印判屋のむすこ」も「親父のめがね」を焼き直したものか、あるいは他に元となった共通の笑話があったか、どちらかであろう。

いずれも「たはけたる息子」「百の銭十一二文ぬけたる廿斗のむすこ」の話である。
日頃眼鏡をかけて仕事をしているのも同じ設定である。

しかし、結果は「親父のめがね」の息子は親の眼鏡をかけて見ても、親父の友達とはわからなかったのに対し、「印判屋のむすこ」では、親父の眼鏡をかけて見て、初めて先日のお客だったことがわかるという。

つまり、目にかける「眼鏡」を小道具として使いながら、「物の善悪・可否などを見抜くこと。目きき。鑑識。また、その能力」といった意味の「目がね」のなさを笑ったものであろう。
話のつくりとしては「親父のめがね」では結局、「たはけたる息子」は最後までたわけたままで終わっており、話の展開はない。
それだけ笑話としては平板である。

それに対して「印判屋のむすこ」の「ぬけた息子」は少しは理解力はあるが、親父の眼鏡をかけなければわからない、つまり自分の頭で判断できない「十一二文ぬけたる」息子のぬけ加減がよくあらわれていて面白い。

「七つ目かね」
次にあげる「七つ目かね」は、あの黄表紙『時代世話梃鼓』に出てきた「将門の眼鏡」を小道具とした笑話である。

〇七つ目かね
焼出されの女郎屋、見世を張りたく思へども、女郎といへばたつた壱人。如何ハせんとしあん最中友達来り、おれがいいしゆこうが有。
格子へ七つめがねをはり、女郎だくさんに見せる工夫。
なんと、今孔明であろうがといへば、亭主、手を打てよろこび、早々其日より取かかり、はや見世開きせしに、客、船宿をともなひ、かのぼうけいの格子をのぞき、ここへあがろうと、若イ者へ好をいへば、金山さん、お仕度と声をかける。
客、のぞき居て、おつと、惣仕廻てハない
〔『珍話楽牽頭』(『噺本大系』第九巻、東京堂出版、昭和五十四年)〕

「七つ目かね」は、焼けだされた女郎屋が、たった一人の女郎を七つ眼鏡でたくさんに見せて商売をしようとするが、なにしろ一人が客を迎える支度をしようとすると一斉に会員が同じ行動を起こしてしまうので、客はあわてふためくという話である。
最後に客が「おつと、惣仕廻てハない」と、ちゃんと落ちがきいて、なかなかうまくまとまった話となっている。
それというのも、七つ眼鏡の特性を巧みに使っているからであろうが、それだけでなく、軽快で歯切れのよいテンポが非常に効果をあげているようにおもわれる。
歯切れのよさはなんといってもそれは江戸小咄の身上であり、そのことは、同じ眼鏡を小道具とした次の笑話にもあてはまることである。

〇目鏡
目がねを懸ると目がわるくならぬといふから、一つかつた。見てくりやれ。
どれ見せや。先いくらでかつた。おらあやすくかつた気た。
たった二十四文さ。それハ安いもんだ。是ハ手めへ輪ばかりで、かんじんのびいどろがない。
そこがおれが思ひ付き。びいどろがあるとな、ほんばりとして遠くのものが見へねへから、夫でかへした。
〔『喜美賀楽寿』(『噺本大系』第一一巻、東京堂出版、昭和五十四年)〕

出店となった『喜美賀楽寿』(安永六年、一七七七年)は、『鹿子餅』によって先鞭をつけられた江戸小咄の流れを受け継ぐものである。

ところでこの小咄は、眼鏡をかけると目が悪くならないという俗説に基づいているわけであるが、このような俗説は、先に「随筆と眼鏡」のところでもふれたようにかなり広汎に流布していたものである。
しかし、笑話としてはガラス玉を抜いてしまった眼鏡を、二四文で買う間抜けさが面白い。

以上、眼鏡にかかわる江戸小咄を見てきたわけであるが、じつは、この江戸小咄の中からあの落語が生まれてくるのである。
つまり、「咄の会」の常連の中から、三笑亭可楽、林家正蔵といった専門の話芸者が生まれ、文化・文政頃になって工業としての寄席が設けられてくると、笑話は読まれるよりも語られるようになるのである。(続く)

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