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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第二十六回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第二十六回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は近世随筆に見る眼鏡についてです。前回はこちら

3 近世随筆に見る眼鏡
近世随筆の特徴は、なんといってもその著作量の膨大さにあるといえよう。
たしかに、近世には、上代の『枕草子』、中世の『徒然草』に匹敵するような随筆があるわけではないが、漢学者・国学者などの学者のみならず、町人・百姓などによって、かなり雑多な内容の作品が書かれていることは事実である。

現在、それらを体系的にまとめて、近世文学史の中に位置づける学問的作業が行われていないのも、ひとえに、その内容の多様さのためといえよう。
したがって、以下、近世随筆の中で眼鏡についてふれた部分を抄録していこうと思うが、前述の理由からして、はなはだまとまりがないままに並べられていることを予めおことわりしておきたい。

山口幸充『嘉良喜随筆』(寛延三年頃刊 一七五〇年頃)
管見の限りでは、眼鏡についてふれた一番古い随筆ではないかと思う。

〇目金ニスル水精ハ、火取玉ノタチハ宜シ。常ノ水精ハ水ヲ吸ユヘニ、眼中ノ潤ヲ吸テアシシ
〇硝石ノ目金ニ能サヘ有バ用ベシ。
〔『嘉良喜随筆』(『日本随筆大成』第一期二一巻、吉川弘文館、昭和五十一年)〕

『嘉良喜随筆』は、垂加流新道家であった山口幸充の見聞・雑記を記したものであるが、ほとんどが黒川道祐の『遠碧軒雑記』などからの抄録であり、随筆というよりは、むしろ雑録といったほうがふさわしい。

この部分も、実は『雑記』からの抄録であり、したがって、実際にこの部分を書いたのは黒川道祐であり、書かれたのは延宝三年(一六七五年)である。

大枝流芳『雅遊漫録』(宝暦一三年刊、一七六三年)
当時、眼鏡の玉は水晶と硝子を使っていたのであるが、これについて、同書に次のような説が載せられている。

〇靉靆
(略)右慎懋官が花夷珍玩続考に見へたり。
眼目昏倦の人、老人など書を読に、重宝の器なり。
若年の人もこれをかくれば、眼力を養助て、老後眼力つよしと云。
舶来のもの此土にて製するもの世に多し。
おのおの硝子にて作る。
よきものは水晶にて作る。
或人水晶の眼鏡をかけ書を読てありしとや。慎べし。
今井記して世に知らしむ恐るべし。
硝子より水晶目を助養によしと云。其是非未試。
くもりを拭にはやはらかなる絹を用ゆべし。
燈心などはあしく。
但し硝子と水晶と見わけがたきは、舌にてねぶり見るべし。
其冷かなるは水晶也。
別而夜学に用ひて、燈燭目にいらずしてよし。
〔『雅遊漫録』(『日本随筆大全』第二期第二三巻、吉川弘文館、昭和四十九年)〕

著者の大枝流芳については、享保期の香道家として知られているくらいで、その生没年すら明らかになっていない。
『雅遊漫録』の序文によると、琉芳は大坂の人で、京の隠遁者のような生活をした後、郷里に帰り、四川と号して香道を教授していたという。
したがって、本書の内容も、器物・調度、行楽用具、文房具、錦繍、楽器、遊具など、江戸時代中期の貴族や風流人の間で用いられた調度・用具や、その生活・趣味を、漢籍や日本の所伝を引き、あるいは精細な図を添えて説明している。

引用した部分は、筆・墨・硯などの器物についてふれたところであり、当時、眼鏡が書斎における文房具として、文人などに利用されていたことを示している。

津村淙庵『譚海』
今、近世随筆の双璧をあげろといわれたら、躊躇することなくこの『譚海』と『塩尻』(天野信景)をあげたい。
近世随筆の特徴は、なんといってもその内容の多様さにあるが、『譚海』は、著者四十歳の頃から、公家・武家の逸話をはじめ、政治・文学・歴史・地理・社寺の縁起・天変地異・妖怪その他、まさに人事の万般を記し続けてきたものであり、その内容の多様さにおいてまことに近世随筆の白眉である。
『譚海』では眼鏡について次のように記述している。

〇たばこの葉にて、眼がねをぬぐふべし、くもりとれて明也、
〔『譚海』国書刊行会、大正六年〕

『譚海』の数ある逸話の中から、管見の限りで、わずかに一行分しか見い出せなかったのはまことに残念である。
ここに述べられている事柄が、著者の経験に基づくものなのか、あるいは伝聞なのかははっきりしないが、おそらく耳寄りな話として書き留められたものであろう。

志賀理斎『理斎随筆』
眼鏡についてふれた随筆を見ていて特徴的なことは、眼鏡が老人にとって有用であるということとならんで、若年であっても、眼鏡をかけると眼力を助養し、老後になっても強い眼力を維持できるという説が間々見られるということである。

先にあげた『雅遊漫録』にも、「眼目昏倦の人、老人など書を読に、重宝の器なり。若年の人もこれをかくれば、眼力を養助て、老後眼力つよしと云……」とあり、次にあげる「理斎随筆』にも同じ説が展開されているのは大変おもしろい。

〔廿五〕年老て眼鏡杖用ゆる事、六日の菖蒲十日の菊といへる如く、証文の出し後れなる歟。
細工をするもの輪ばかりの目がねを懸て、眼精外に散らすして大に養になるなり。
予長崎にて唐人を見るに、年若きも平日眼を用ることなき時にも、多く目鏡を懸て歩行などするゆゑ、何ゆゑいたづらに眼鏡を用る哉と尋ねたりしかば、年衰へて眼力薄くなるに至りて、用るとても眼力うすく成たるは直る事なし。
若き時より用ゆれば、眼鏡に助けられ、老年に及ぶといへども眼精衰ふることなし。
故に用ると答たり。
是に依てつらつら考へ見るに、実もっともの事なり。
さらば杖の道理もひとしかるべし。
老年に至り腰屈みては、杖にて助らるるのみなり。
屈みたる腰は伸る事なし。
若時より用れば、年老ても腰の屈る事は極て無かるべし。
盲人を見るに、幼少より杖を用るゆへ、年老たる盲人、腰のかがめるを見たる事なし。
しからば天下国家を治ることも、平日無事なる時に其心得あるべし。
乱んとし傾んとして、其時に至り後悔するといへども、更に益なかるべしとおもふのみ。
〔『理斎随筆』(『日本随筆大成』第三期第一巻、吉川弘文館、昭和五十一年)〕

『理斎随筆』は、江戸時代後期の幕臣であった志賀忍(理斎)が、若年の時より書きためた和漢古今の書籍などからの抄録を、六巻にまとめたものである。
内容は、このような類の随筆によくあるように、歴史上の逸話から俗説・俚談にいたるまで、自らの体験も含めてまことに複雑多岐にわたっている。

志賀理斎は、宝暦十二年、代々伊賀者として幕府に仕えた家に生まれている。
彼は天明十年、長崎の吏となって赴任しているが、そのときの見聞がこの話のもとになっているわけである。

彼は、長崎の唐人が、若年にもかかわらず、眼鏡をかけて歩いたりしていることを奇異に感じている。
ここにあるような、若年の頃から眼鏡を使用していれば老年になっても眼力が衰えないというのは、若年の頃近視だった人の中には、老年になってもいわゆる老眼鏡を使う必要のないことがあるので、おそらくそのことを指しているのではないかと思う。

寺門静軒『静軒痴談』
近世の随筆を見ていると、しばしば漢籍からの引用にお目にかかることがある。
『静軒痴談』も、著者寺門静軒が漢学者だけに、漢籍を引用している。

静軒は寛政八年江戸の生まれ。
父は水戸藩大吟味方勤であったというが、静軒が十三歳のときに亡くなっている。
静軒も一時水戸藩に仕官しようとしたが失敗し、一生を民間儒者として送っている。
静軒の名を一躍有名にしたのは、江戸の風俗を和風漢文で書いた『江戸繁盛記』(天保三年)であり、後に風俗紊乱を理由に処罰された。
『静軒痴談』は、静軒晩年の作であり、唯一の和文で記されている。

〇靉靆
(略)今ハ昔ト異ニシテ、書籍ニ不足ナキハ固ヨリナリ、眼力ウスクナリテモ、眼鏡デキタレバ、自由ナルコト古ニ倍蓰セリ。
方州雑録ニ、孫景章ガ云、良馬ヲ以テ西域ノ賈胡ニ易フ、其ノ名ヲ僾逮トイフ。
又隋園文集ニ、眼鏡ハ明ノ世マデハ極メテ貴シトス、或ハ内府ヨリ頒チ、或ハ賈胡ヨリ購ス、有力ノ者ニアラザレバ得ルコト能ハズ、今ハ則天下ニ偏シ、本来外洋ノ物ハ、ミナ玻瓈ヲ以テ製セシガ、後ニ広東ニテ其式ニ倣フテ水精ヲ以テ製ス、更ニ其上ニ出タリ。
又欧北ガ詩ニ、相伝宣徳年。
来自番舶駕内府賜老臣。
貴値兼金価。トアリ。
今ハ本邦ニテモ天下ニアマネク、且ツ国製ノモノハ、百銭ヲ以テ買コトヲウル、或人ノ話ニ、眼鏡ノ来リシ初メ、都会ノ人ヨリ僻郷ノ者ヘ之贈リシニ、始テ見タルコトナレバ、村中ノ者アツマリテ評スルニ、或ハ云、両掌ノ紋ヲ一併ニ照シミル天眼鏡ニテ、売ト者ノ用フル物ナルベシ。
或ハイフ、達磨ノ眼ノ寒ザラシナン。
或ハ言フ、魂魄ノ乾物ナラン。
或ハ言フ、牽牛織女ト隕チタルナラン。
里正イフ、思フニ必ズ目ノ類ナルベシ。
然レドモ臆見ヲ以テ之ヲ断ゼバ、都人ノ笑ヲ取ラン、江戸両国ニ四ツ目屋ト云フ肆モアリ、本所ニ二ツ目ト云所モアリトキケバ、飛脚ヲ遣ツテ確ト質スガヨカラント言シト。
〔『静軒痴談』(『日本随筆大成』第二期第二〇巻、吉川弘文館、昭和四十九年)〕

以上、目にふれることのできた随筆についてまとめてみた。
最初におことわりしたように、いささか雑駁であるのは、近代随筆の膨大さからお許しいただきたい。(続く)

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