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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第二十八回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第二十九回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は眼鏡の国内生産の始まりについてです。前回はこちら

第8章 近世産業発展と眼鏡
1 眼鏡の国内生産の始まり
浜田弥兵衛始祖説
これまで述べてきたように、眼鏡は日本にもたらされて以来、ポルトガル船、オランダ船、あるいは中国船によって、輸入され続けてきたわけである。
このように眼鏡が舶来品であったところから、眼鏡の製作技術についても、私たちはそれが外国から流入し、まず長崎でその製作が始まり、ついで京、大坂、江戸へと伝えられていったという認識を、当然のこととして受け入れてきている。
次にあげる浜田弥兵衛についての言い伝えは、そのような認識が成立する根拠となったものであろう。

この浜田弥兵衛始祖説の典拠となっているのが、西川如見の『長崎夜話草』の次の記事である。
眼鏡細工 鼻眼鏡 遠眼鏡 虫眼鏡 数眼鏡 透間眼鏡 近視眼鏡 長崎住人浜田弥兵衛といふもの、壮年の頃蛮国へ渡り、眼鏡造り様を習ひ伝へ来りて生島藤七といふ者に教へて造らしめたるより今にその伝なり。
此弥兵衛は武芸の達者、細工の上手なりし。
弟を浜田新蔵といふ。
共に蛮船に乗て世界を周覧せし折節、日本の東南海なる大人国に至りて見たる者也。
両人共に台湾にて武勇の働ありしに依て、諸国より高祿にて招かれしか共、志の事ありて仕官もせで有しが、其後兄の弥兵衛死して、弟新蔵肥後へ五百石にて行しなり。
〔西川如見『長崎夜話草』(『町人嚢・長崎夜話草』岩波文庫、昭和十七年)〕

『長崎夜話草』
『長崎夜話草』は、江戸中期の天文暦学家西川如見の談話を次子正休が筆記・編集したもので、享保五年(一七二〇年)の成立。
長崎の由来に始まり、海外交渉・貿易、あるいは長崎の庶民生活や特産物について紹介している。
引用したのは、五之巻「長崎土産物」で、長崎の特産物三九種について述べた部分である。

浜田弥兵衛は、あのタイオワン事件(第4章の1)で活躍した末次平蔵船の船頭である。
しかし、『長崎夜話草』の記事だけでは、弥兵衛がいつ眼鏡の製法を日本に伝えたのか、あるいは、「日本の東南海なる大人国」が「ジャワ」を指すものかどうか明らかではない。

弥兵衛が眼鏡の製法を伝えたとされる生島藤七であるが、『長崎先民伝』によれば、「生島三郎左、善蕃画、伝之蕃人住彼地者、而得其妙、其弟藤七、能為螺鈿、且巧百技、兄弟倶擅名于世」とある。
元和頃の人という。

『長崎夜話草』の記事はやや不明瞭であるが、ともかく浜田弥兵衛によって眼鏡の製法が日本に伝えられたのは、十七世紀初頭のことと考えていいのかもしれない。

しかし、浜田弥兵衛によって眼鏡の国内での製作が始められたとするのに疑いがないわけではないが、以下では、国内諸産業との関係、なかでも古代・中世以来の伝統的な手工業技術との関係から、眼鏡の国内における製作について見ていこうと思う。(続く)

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