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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第十六回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第十六回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は眼鏡の輸出についてです。前回はこちら

3 眼鏡の輸出
ところで、近世の日中貿易を通じて、眼鏡の輸出ということはあったのだろうか。

先の永積洋子編『唐船輸出入品数量一覧』では、残念ながら眼鏡の輸出についての記事は見あたらなかった。
しかし、『唐蛮貨物帳』に収められている、宝永六年の「阿蘭陀船四艘日本ニ而万買物仕積渡寄帳」には「数眼鏡」が二七個輸出されている記事がある。
「数眼鏡」というのは、寺島良安の『和漢三才図会』(正徳三年、一七一三年)によれば、「泰平にして裏亀甲の如く稜形をなす、或は五、或は六、数に随って見る」とある眼鏡である。
西川如見の『長崎夜話草』(享保五年、一七二〇年)にも、長崎土産物として眼鏡細工の一つにあげられている。
ちなみに、現在では、「数眼鏡」と同じものは、カメラなどのフィルター(一つの被写体を五つ六つに写す特殊フィルター)として使われたりしている。

オランダ船は、正徳元年(一七一一年)にも「数眼鏡」六個を輸出している。

この他、宝永(一七一〇年)の「壱拾八番 台湾船帰帆荷物買渡帳」にも数量不明であるが「遠めがね」が輸出された記事があり、さらに正徳元年について見ると、〔表5-3〕のように、唐船一一隻によって「虫めがね」、「磯めがね」、「遠めがね」が輸出されているのがわかる。

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以上見てきたように、唐船・オランダ船ともに、「数眼鏡」、「虫めがね」、「磯めがね」、「遠めがね」など、特殊な眼鏡を輸出しているのである。
これらはいずれも、西川如見の『長崎夜話草』の、長崎土産物の眼鏡細工の中に記されているものであり、おそらく、長崎において、すべて調達できたものではないだろうか。
このように、十八世紀の初頭はすでに眼鏡が単に輸入品に止まるのではなく、一部輸出品にもなっていることは注目されるところである。(続く)

弊社では眼鏡のコレクションを数百点を展示した東京メガネミュージアムを運営しております。
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