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【連載】「眼鏡の社会史」(白山晰也著)第二十三回


弊社四代目社長の白山晰也が記した著書「眼鏡の社会史」(ダイヤモンド社)の無料公開連載の第二十三回です。
老舗眼鏡店の代表であった白山晰也が眼鏡の歴史について語ります。
今回は浮世絵(錦絵)の中の眼鏡についてです。前回はこちら

7 浮世絵(錦絵)の中の眼鏡
歌麿が描いた眼鏡
浮世絵は広義には風俗画の一部であるが、江戸時代において江戸を中心とした庶民の生活や風俗を描いた作品に与えられる名称で、当時「浮世」と呼ばれていた遊里や歌舞伎を好んで描いたための名称とされている。

この新様式の風俗画の発生期の主題は、吉原遊里の内情や男女閨房のありさま、歌舞伎舞台などであったが、やがて一人称の姿態表現が中心となり、やがて幕末時代には風景画や花鳥画も加わってくるようになる。

浮世絵の形式には、肉筆画と木版画があるが、多量生産ができる木版画形式が徐々にその主流なっていった。
そして、「江戸みやげ」として全国的な需要に応えた大衆芸術品でもあった。

浮世絵の開祖は、菱川師宣とされている。
師宣が最初に発表した木版画は墨一色の墨摺絵といわれるものであった。
その後、徐々に改良が加えられてきたが、一七六五年に鈴木春信により、錦のように美しい錦絵という多色摺りが考案された。
この錦絵は木版画における色彩の革命的発展で、このことにより、浮世絵は全盛期に入ってゆく。
ことに、喜多川歌麿、細田栄之(鳥文斎)、窪俊満、東洲斎写楽らが活躍した寛政年代(一七八九~一八〇一年)は、浮世絵の黄金時代といわれる。

寛政時代を頂点に、美人画、役者絵の浮世絵はいきづまり、衰退しはじめるが、やがて、葛飾北斎、安藤広重らにより、風景画の浮世絵が誕生し、新時代を築くようになる。

さて、浮世絵の中の眼鏡としては、眼鏡の創始者といわれる鈴木春信の錦絵に、遊郭の窓から海を遠目鏡(望遠鏡)でながめている画がある。
春信の絵画は総数五〇〇点とも七〇〇点ともいわれているので、他にもあるかもしれない。
浮世絵ではないが同じ春信の画の「絵本花鳥葛藤」の中に二点、老人が眼鏡を使用している画もある。

また、美人画といえば歌麿、歌麿といえば美人画と、当代美人画の第一人者であった喜多川歌麿も眼鏡を描いている。

その一つは「教訓・親の目鑑」という題目で、一二枚シリーズの美人画である。
このシリーズのタイトルに、目鑑という言葉を用いるとともに、眼鏡の左右のレンズ部分にそれぞれ「教訓」及び「親に目鑑」と書いた眼鏡を画いている。
一二枚中一〇枚が判明しているが、いずれも同じ形式の眼鏡、すなわち紐つき、鼻あて式の眼鏡である。
「教訓」と題目でうたいながらさまざまな女性本能の内面を画いたものといわれる。
他の一枚は「千話鏡月の村雲」の画題で、これも一二枚シリーズ(一〇枚判明)の中にある。
このシリーズの登場人物は三人で、恋人同士の男女に第三者をからませ、「月にむら雲」を表現した。
いささかコミック調のシリーズである。
この中の第一話として、お松・久松と画題して、これに眼鏡をかけ、手紙を読んでいる老人を配した絵がある。
いかにも無粋な老人の表情がよく描かれている。
眼鏡も克明に描かれているが、耳にかけられた紐の位置がいささか気になる。

6-276-28
歌麿の浮世絵の中では、これ以外は見あたらない。
筆者は「教訓・親の目鑑」シリーズの「ばくれん」〔図6-27〕と「不作者」を、そして「千話鏡月の村雲」シリーズの「お染・久松」〔図6-28〕を入手し、古い眼鏡のコレクションとともに所持している。

このほか、浮世絵の中には、まだまだ眼鏡が登場する絵があると思われるので、今後も根気よく探してみたいと思っている。(続く)

 

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