Museum東京メガネミュージアム <S・T・A・G・E>

東京メガネミュージアムが育んだ
古くて新しいアイウエア 眼器-MANAKI-
映画の小道具製作依頼をきっかけに始まった物語。
東京メガネミュージアムが支えた、究極のレトロメガネが商品化されました。
映画の小道具製作依頼をきっかけに始まった物語。
東京メガネミュージアムが支えた、究極のレトロメガネが商品化されました。
東京メガネミュージアムでは、当社が長年かけて収集した数百点ものアンティーク眼鏡、ケース、補聴器、光学器類の中から厳選したコレクションをご覧いただけます。
15代将軍徳川慶喜公が使用した「天眼鏡」や、ベートーベンが使用したといわれるものと同型の「ロンドンドーム型集音補聴器」などの珍品もあり、古人のアイディアやチャレンジなど、眼鏡や補聴器の歴史を通し技術の変遷を感じてみてはいかがでしょうか。
(完全予約制)
レンズの始まりからメガネの起源、東京メガネが長年かけて収集した一部コレクションのご紹介まで、メガネの歴史を足早に解説します。
このページに掲載されたメガネの実物を「東京メガネミュージアム」にてご覧いただけます。
紀元前
紀元前の古代から、ある種の石がレンズとして使われていました。現存する最古のレンズは、紀元前700年頃のニネヴェ(現在のイラク北方、アッシリアの古都)の遺跡から発見されています。このレンズは研磨された水晶の平凸レンズですが、用途は太陽熱を集めるためのもので、視力を助けるためのものではありませんでした。また、紀元1世紀頃の記録に、古代ローマの皇帝ネロが、闘技場で剣闘士たちの闘いを観戦するのに、エメラルドのレンズを用いていたということが記されています。ネロがそのレンズを用いた目的は視力を補うためではなく、眩しい光線から目を守るためであったといわれています。
適度にカットされた光学レンズを使うと視力が助けられる可能性を最初に発表したのは、アラビアの数学者であり、物理学者、天文学者でもあったアルハーゼン(956頃-1038)です。13世紀の中頃になると、彼が書いた著書に触発されて各地で眼鏡の開発が盛んになりました。視力を補う目的としての一番最初のレンズはリーディングストーンというもので、13世紀の中頃にドイツで、ある修道士によって発見されました。それは石英、または水晶でできた平凸半球型のレンズで、物体を拡大して見る現在の拡大鏡(ルーペ)のようなもので、 本の上に直接のせて使用されていたと思われます。
13世紀
13世紀頃の西欧諸国は教会中心の社会でした。当時眼鏡を必要とした人は当然文字の読める人で、大変なエリートでした。一方では「年をとって近くのものが見づらくなるのは神の与えた苦痛だから、じっと耐えるべきだ」という考え方が社会にあり、それを妨げる機械類は「悪魔の仕業」と信じられ、民衆はレンズを悪魔の道具とみなしていました。そんな当時であっても眼鏡が作られていたという背景には、イタリアのベニス地方におけるガラス製造技術の発達があります。いずれにしても、眼鏡が発明された時期は1285年前後といわれていますが、定かではありません。
14世紀
16世紀
眼鏡の日本への伝来は1551年(天文20年)、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-1552)が来日し、周防(現在の山口県)の国主・大内義隆(1507-1551)に献上したものが、その最初とされていますが、残念ながら現物は残っていません。また、室町幕府12代将軍・足利義晴(1511-1550)が所持していたという眼鏡が残っており、一部には、これが現存する日本最古の眼鏡ではないかという説もあります。そして、あの徳川家康(1542-1616)が使ったという眼鏡が静岡県・久能山東照宮にあります。これらの眼鏡はみな、手で持って見るタイプのもので、現在のように耳に掛けるタイプが出てくるのは、ずっと後になってからのことです。
17世紀
最初の手持ち式眼鏡が現れてから、350年以上も経た17世紀になると、西洋の方ではスパニッシュイタリアン型と呼ばれる、眼鏡を紐で耳に掛けるタイプのものが出てきます。この眼鏡を西洋人が掛けても、彫りが深く鼻が高いのでレンズとまつ毛が接触しませんが、東洋人は鼻が低いので眼鏡が顔にくっついてしまいます。これを防ぐために鼻当てを考えたのが日本人だといわれています。この頃になると、今まで輸入品にたよっていた日本でも、長崎で初めて眼鏡が作られるようになりました。材質はべっ甲、水牛の角、馬の爪などですが、これらも初めは輸入していました。
18世紀
この頃になって、日本製の眼鏡は多く登場してきます。鏡を磨く人、つまり鏡師たちが段々眼鏡レンズなども磨くようになり、17世紀の終わり頃からは、眼鏡を売る店が京都、大阪、江戸に出てきます。ただ、眼鏡だけでは商売にならず、他の物と一緒に商売していました。眼鏡が誕生した当初、西洋では「眼鏡は悪魔の仕業」という概念がありましたが、18世紀頃には洋の東西を問わず、自分より目上の人の前に眼鏡を掛けて出るのは失礼にあたると考えられていました。目上の人の前で、自分の博学を自己宣伝するようなものだということなのです。昔から眼鏡は博学のシンボルであり、現在でも教育水準、文化水準の高さに比例して、眼鏡の装用率も高くなっています。
19世紀
この頃になると、諸外国でいろいろなタイプの眼鏡が作られるようになります。鼻に挟んで使用するパンスヌと呼ばれる鼻眼鏡(日本では吉田茂元首相が掛けていました)や、ヨーロッパの貴婦人たちが愛用したローネットと呼ばれる長柄手持ち式の眼鏡、また、現代の眼鏡にもありますが、耳に掛ける部分が巻きつるになっているタイプなども作られています。その他、変わった眼鏡では、アメリカの大陸横断鉄道の機関士が使用していた煤よけのための眼鏡や、フランス製の射撃用の眼鏡などのように、用途・目的別に使用する眼鏡なども出てきました。
20世紀
1940年代には海外のトップデザイナーがこぞってメガネのデザインに進出。服やメイクにメガネを合わせたりすることで、メガネの楽しみ方がどんどんスタイリッシュになっていきました。サングラスなどもファッション化の流れが一段と加速し、雑誌・テレビ・映画などの様々なメディアで映画俳優や著名人がかけるようになると、一般層にも広まっていきました。
日本では、戦後の高度経済成長の中、受験戦争、高学歴化が進み、眼の負担が一層増えることで、眼鏡の需要が急増。1980年代には若者を中心にメガネをファッションとして捉え、大きい形のフレーム、鮮やかなカラーなどが人気を集めました。
メガネレンズにおいても技術革新が行われ、遠くから近くまでをカバーするため、複数の度数を入れた二重焦点から遠くから手元まで一枚のレンズで連続的に見えるように度数が変化する累進多焦点へ進化したレンズは、軽いプラスチック製が主流となり、フレーム素材も多種多様、コンタクトレンズも飛躍的に進化しました。
古くて新しいスタイル提案型 新感覚アイウエア
メガネの国家検定資格「眼鏡作製技能士」について
進化のあとには……現代のメガネの解説や豆知識
これがメガネ取り扱いマニュアル保存版!
東京メガネミュージアム<S・T・A・G・E> は、
事前予約制をとらせていただいております。
ご予約はご連絡日当日から7日目以降で承らせていただきます。
(6日目まではご予約いただけません)
見学所要時間はおよそ40分です。
なお、個人のお客様、学校や企業・団体は問いません。